バリ − 神々の棲む島 −

 毎年蒸し暑い季節になると、どこからともなくポコパコと、竹をたたく音が聞こえるような錯覚が起きる。あれは、バリで夏を過ごしてからだ。夕暮れの蒸し暑さがふっと和らいだとき、何となくバリの音を思い出す。いつもどこかでガムランの音が聞こえていた。そう、あれは神々の棲まう島、バリで過ごした夢のような一ヶ月のこと・・・。

 

 別にリッチな家族というわけではないが、その年は私が大学を出たばかり、就職先もなくいわゆるプー太郎だった時のことで、家族で夏休みをずっと一緒に過ごすことなどもうないだろうからと、母が勝手に旅行を手配したのだった。こういう、一見するとむちゃくちゃなところが、母らしい。計画は一ヶ月間をバリのホテルで過ごすというもの!これまた飛行機代込みで「えー、こんな素敵なホテルでこの値段!!」というようなカンジのパッケージツアーで、通常のツアーにプラス、宿泊の延長をお願いしたという。バリの高級ホテルが立ち並ぶエリアとして有名なヌサドゥア地区にそのホテルはあり、私達家族は特別な一ヶ月を過ごした。

 一ヶ月まるまる暇なのは私と母、それに小学一年生の妹だけ。すぐ下の妹はバイトで一ヶ月は無理、父もしかり。ということで、すぐ下の妹は最初の二週間を、父は後の二週間をここで過ごすことにした。今考えても、こんな贅沢な時を家族と過ごせたのは後にも先にも、この時しかない。なぜバリを選んだのかは分からないが、こういう大切な時間を過ごすには最適の所だった。

 そのホテルは他のホテルと同様、海辺に面した広大な敷地を持ち、その敷地にはバリ様式の建物がゆったりとした感覚であちこちに建っていた。芝生は美しく整備され、どこにいてもポコポコと、例のガムランの音が優しく風にのって聞こえてくる。プライベートビーチに面したプールは広々としていて気持ちがいい。日本人が来るにはマイナーなホテルなのか、一ヶ月の滞在中、夏休みにもかかわらず日本人を見たのはたった一組だけ。バリの人々の優しい笑顔と心づくしのもてなしに、とろけるような夏だった。



 朝食から素敵だった。朝から珍しいフルーツを頂き、おいしいパン、今日はチーズにトマト、たまねぎも入れてねとお願いした作りたてのオムレツ。コーヒーを飲みながら、今日は何をしようか、なんて話す。ホテル内で過ごすところはたくさんあったし、飽きたら近くのショッピングモールまで、散歩がてらに行ってもいい。大抵は一番下の妹にせがまれて、みんなで海辺のプールで午前は過ごし、午後はあちこちを散歩するのだった。
 何日かして、飛行機でバリ島からジャワ島のボロブドゥール遺跡を見るためにインドネシアの京都ともいわれる古都・ジョグジャカルタに二泊三日の小旅行に出かけた。滞在期間が長くないと出来ないことだ。ボロブドゥールは世界最大の仏教遺跡で、「世界七不思議」の1つだという。朝起きたら、コーランが聞こえて驚いた。インドネシア自体はイスラム国で、バリ島だけがヒンドゥー教だったなと思い出す。二日目、ジャカルタから母の友人が、わざわざ訪ねてきてくれた。彼女の息子が、一番下の妹と幼稚園が一緒で、母どおし仲が良かったのだそうだ。しかしだんなさんの転勤で半年ほど前にジャカルタに引っ越すことになったのだという。
 今思うと、あの頃のインドネシアはまだ落ち着いていたのではないか。その二年後には東ティモール紛争が大きくなり、インドネシアは政情不安に陥る。バリは観光のメッカだけど、インドネシアはたくさんの火種を抱えている多民族国家なのだ。

 そんなことをしているうちに、すぐ下の妹は帰っていき、入れ違いに父がやってきた。父はバリは二度目で、旅行があまり好きではない彼も、ここは気に入っているようだった。父が来てからはアクティビティーというよりは、さらにゆったりとホテルで過ごすことが多くなった。車をチャーターして、遠くのキンタマーニ山に行ったり、ライス・テラスの広がる芸術の村・ウブドゥで絵を見たり・・・。一年に一度のヒンドゥーのお祭りにも遭遇した。道々に竹が七夕のような飾りをつけて飾られており、そこを民族衣装を着た人々が、お供え物を手に練り歩く。普段の生活でも、町のあちこちにバリの神様はいて、たくさんのお供え物が、ふと目をやったところに供えられていた。信仰心の厚い人々なのだ。

 あれから何度かバリを訪れる機会があった。しかし、あの夢のような時を過ごすことは、なかった。



今でも、蒸し暑い日は、ああ、バリに帰りたい、と思う。
最高の夏だった。

モドル

ホーム  旅のはなし  旅の記録  旅のランキング
旅の写真たち  愛すべきオミヤゲ  旅以外のこと