エリトリアとの出会い−オリンピックキャンペーン(1)−

 そもそも何だってこんなに小さな国とめぐりあったのだろう。エリトリアと出会ったのはピースボートに関わって一週間目のこと。独立して3年目だというこの小さな国を、その当時私は全く知らなかった。

 大学では一応、東洋史を専攻しており、中でも中近東に興味のあった私は、当時ピースボートにあった「アラブ・アフリカチーム」に参加することに決めた。これは、せっかく様々な国に行くのだから、専門家も交えて事前に勉強しよう、というものだった。すでにクルーズへの参加を決めていた私は、自分が行く国と地域をもっと知りたかったのだ。加えておくなら、アフリカには全く興味がなかった。

 

 しかし入ったはものの、チーム内は「エリトリア」一色だった。どこそれ?古代ローマ時代にあった国?それともロシアのどこか?みたいに、何の知識もなかった私は、チームに参加してから初めてその国の歴史−30年間もアフリカ最大とも言われる独立戦争をしていたこと、独立したばっかりのアフリカ一若い国であること、世界最貧国であること−を知った。なぜチームが「エリトリア」一色だったのか?これには大きなワケがある。

 1996年夏、オリンピックがアトランタで行われた。そのオリンピックに、エリトリアは参加するのかというピースボートの問いに、当時の教育大臣、オスマン・サレ氏は「出たいけどスイス(IOC本部)までの電話代だけで一月分の公務員の給料。大体、許可が出てもアトランタまでの飛行機代がない」という回答。そこでピースボートの有志が「エリトリアをアトランタへ!オリンピックキャンペーン」と称し、大々的に募金活動を始めたのが4月のことだった。オリンピックへの障害が金銭的問題であるなら、日本で資金を集めよう、IOCへの交渉も応援しよう、という主旨でこのキャンペーンは始まった。

オリンピックまであと1ヶ月ちょっと。募金はいっこうに集まらない、私が参加したのはそんな時期だった。戦後初のエリトリアの参加。それは国際社会へのデビューを意味する。しかもサマランチ(ご存じIOC会長)は「ほぼ全ての国連加盟国を出場させる」と宣言していた。オリンピックは(不服だが)平和の象徴なのだ。



こんなワケで、募金やらキャンペーンやらで大忙しの日々が始まった。まったくエリトリアに興味のない私が、どうして新宿で「募金お願いします」と言ってるのだろう・・・。それまで募金活動だの、ボランティアだの、興味はあってもやったことはなかった。募金活動は最悪だった。誰もエリトリアの名前を知らない。これが地雷の撤去キャンペーンならお金は集まったかもしれない。でも、こんな小国のオリンピック出場なんて・・・、誰も興味がないのだ。一日200円ということもあった。電車賃を出し合った方が、まだしも効率的だ。

そんなある日、NHKラジオの人が取材にきた。メンバーは他にも一杯いるのに、なぜか白羽の矢があたり、私が取材に応じた。エリトリアを知って三日目とも言えず、そのままキャンペーンの内容などを語った。今までメディアに全く縁の無かった私にとっては、衝撃的な出来事だった。あとでラジオを聴いたら、声がうわずっていた。

ピースボートのパブ打ち(メディアにレターを流し、「キャンペーンやってます!取材に来てね」と宣伝すること)が功を奏し、ついに朝日の「ニュースステーション」で、その活動内容を紹介する、ということになった。取材班は今、エリトリアで取材をしているという。明日は日本にエリトリアからの選手団を成田に迎えることになっており、私も出迎えのメンバーの一人であった。ステーションの取材は日本での彼らの滞在をメインに行われることになっていた。

選手団といっても、オリンピック委員会(EOC)委員長と自転車選手二人っきり。戦後のエリトリアには、オリンピックを目指して自転車を練習する場所など、どこにもない。まだ、IOCから許可は下りていなかったが、もし降りたらということも考えて、選手を日本でトレーニングさせよう、ということになっていたのだ。



選手団を迎えるため、段幕と花束を抱えた私たちとニュースステーションのカメラマンは彼らの到着を、成田空港で待っていた。しかし、飛行機はとっくに着陸しているのに彼らはなかなか出てこない。何か問題があったのだろうか。通りすがりの人が「有名人が来るのかしら?」と取り巻く(なんたって朝日だもんね)中、心配が頂点に達した頃に、私たちの代表、吉岡さんに入管から呼び出しがかかった。(エリトリアを語るに当たって、吉岡達也氏を語らねばならないだろう。しかし、それはあとにする。)その吉岡さんもなかなか戻ってこない。ようやく来たのは、到着から2時間近くたってからのことだった。

「ひどい話や」と吉岡さんは憤慨していた。成田の入管(世界を代表する成田入管だ!)が、エリトリアを知らなかった、というのだ。「エリトリアなんて書かれた偽パスポートを所持している」ことでもめたという。3年前に独立した旨を話すと、入管が地図を持ってきた。その地図にはエリトリアはなかった。エチオピアしかなかったのだ!!信じられない話だが、本当の話だ・・・。まったくもう、エリトリアはこういう国だったのだ。

その2に続く。


エリトリアトップへ次ヘ

ホーム  旅のはなし  旅の記録  旅のランキング
旅の写真たち  愛すべきオミヤゲ  旅以外のこと