ブエノスアイレス入港 − アルゼンチン 2002年2月12日〜2月13日−


 ブエノスアイレスに着岸したのは、すったもんだの末、2/12をまわったばかりの蒸し暑い午前0時過ぎであった。"すったもんだ"というのは、なかなか入港時間が確定しなかったからだ。船は前日2/11の朝10時に、ラ・プラタ川のパイロットステーションに到着した。巨大なラ・プラタ川をさかのぼると、そこに南米のパリ・ブエノスアイレスが見えてくる。10:00にパイロットポイントということは、夜20:00にはブエノスアイレスについてしまうという。航海が順調にすすんでいたので、予定よりもかなり早くポイントについてしまったのだ。ここで問題が1つ。前港リオデジャネイロからアルゼンチンの入管が乗船していたため、全てのパスポートにはすでに入国のスタンプが押されていた。この日付が予定していた2/12だったため、入管は20:00に着岸してもおろせない、という。しかしパイロットは「もう川の入り口なんだから、さっさと着けろ!イミグレがダメというならオレが話しをつけてやる!」とかなり強気。かなりあれこれと話しをしていたようだが、結局ブエノスアイレスの手前で午前0時になるまで沖泊まりしていた。
 


 着岸して下船の許可が下りたのは、すでに午前1:30をまわっていた。それでも外に出たいのか、舷門の周辺には何人かが下船の許可が下りるのを待っていた。「許可がおりました」の張り紙をしつつ、ようやくブエノスアイレスの入港手続きから解放されるのだと、喜びをかみしめていた。

 というのも、リオデジャネイロからブエノスアイレス間の3日間は、アルゼンチン入国のために事前にアルゼンチンの入国審査官が乗船しており、そのため彼らに翻弄されっぱなしだったのだ。入管というといかにも官僚、というイメージがあるかもしれないが、意外にそうでもない。ニンゲンらしい人が実に多い。しかし、このアルゼンチンイミグレは、ちょっとやっかいな人々だった。
 まず、彼らは夫婦だった。(別に夫婦でもいいんだけど・・・、)奥さんはあきらかに物見遊山的なカンジでの乗船。その奥様と旦那様は朝から大喧嘩。虫の居所が悪く、「部屋が悪い」「サービスが悪い」と何かにつけて文句が多い。あげくの果てに「こんなんじゃスタンプは押せん」と言い出す始末。確かに今回はキャビンがとても不足しておりスイートクラスの部屋は用意できなかったのだが、それと入国手続きと夫婦げんかの苛立ちが混同しているのだから、全く腹が立つ。しかし、腹を立てていてもしょうがないので、何とか機嫌を直してもらおうと、特別メニューを用意したり、サウナやプールへのお誘いをしたりで、接待続き。しかもこの方々、英語は全くダメ!スペイン語のみなので、全く私との意志疎通はできない。少しでも通じようものなら何とかなるが、全く出来ないとなると相手が怒っているのか、喜んでいるのかもよく分からないので、これにはまいった。



 何のかんのとあったがなんとか入国審査も終了し、それらからようやく解放されたのが、ブエノスアイレスの入港であった。こういった状態が、実はこれからしばらく続く。ここブエノスアイレスからはチリのパイロットが、ホーン岬・ウシュアイアからのパタゴニア氷河遊覧のために約2週間乗船することになっていたし、ウシュアイアからはさらにチリの入国審査官が乗船することになっていた。しかもチリは入管・パイロット共に軍人出身が多い。今までの高圧的な様子を思い出すと、これからの数週間が憂鬱になった。

 夜も明けて、しばらく昼寝をしてから街へと出てみた。アルゼンチンは只今未曾有の不景気、アルゼンチンペソは日に日に価値が落ちていく。銀行の前には、預金を解約する人々が群がり、危機的状況だという。しかし、大都会ブエノスアイレスのメインストリートは、そんなことを全く感じさせないようなにぎわったところだった。しかしあまり買いたいものもなく、有名なアサード(巨大なステーキ)を食べ、アルゼンチンタンゴのCDを購入し、ハリーポッターに夢中だという末妹のために、ハリーポッターのシールブックを本屋で手に入れた。3時間くらいブラブラしてから、港へ戻った。数時間後に大事件が起ころうとも思わずに・・・。



 港に戻ると、シッピングエージェントがイライラした様子でギャングウェイ下に立っていた。援助物資でピアノを降ろす手筈になっていたのだが、支払いのことで行き違いがあったらしい。その問題が解決した頃に、彼はぼそっとつぶやいたのだった。
「ホーン岬はチリ領だから、国際海域からだと見えないけど、沖を通るだけなんだよね」
「W, What??」
驚いて聞き返すと、「いや、チリに入国しないと岬に近づけないから」と言うではないか!私達の船はブエノスアイレスから同じ国内のウシュアイアへ向かうことになっていた。つまり、アルゼンチン国内の移動ということになる。ブエノスアイレスでいつものように出国手続きをする必要はなく、ウシュアイアでの出国となるのだ。彼の話をよくよく聞くと、ホーン岬に近付くためにはブエノスアイレスで一度アルゼンチンを出国、どこかでチリに入国し、ホーン岬を見学、その後どこかでチリを出国、再びアルゼンチンに入国せねばならないというのだ。なんでこんな大事なことを今更言うのか、このエージェントは・・・。ブエノスアイレスのエージェントなのだから、当然この問題は始めから分かっていたはずだ。それをこんな、出港まで半日もないような間際になぜ言い出したのか。思うことはいくつかあったが、ぐずぐずもしていられない。すぐに航路の調査と出入港の問題を解決させねばならない。暗澹たる気持で船長とのミーティングを急遽設定する。すでに18:00を過ぎていた。

 とにかく分かったのは、ホーン岬を見るのか、それとも沖を通るだけなのかを今すぐ決断せねばならないということだった。ホーン岬!南米最南端の岬。三浦綾子の「海嶺」を読んでから、私にとってのあこがれの場所でもあった。その向こうには南極大陸が広がっている。ホーン岬を楽しみにしていた人は多いだろう。喜望峰をまわってマゼラン海峡をこえてゆくこの航路は、今でこそ他の船会社も企画しているが、実は私達がはじめたもの。そんな私達でもホーン岬をまわるのは今クルーズが初めてなのだ。やはりいくらお金と労力がかかろうとも、ホーン岬を見ようと決めた。これによって手続き等が全て変わってくる。眠れぬ日々が終わりそうにないのは明白だった。

 ホーン岬に行くことを決めた私達にはやらねばならないことが山積みだった。まず、ブエノスアイレスでの出国手続き。本来するつもりはなかったから、あとは全員乗船したのを確認して出港するだけの予定だったが、急遽出国手続きをはじめた。すでに夜中の一時をまわっている。イミグレはあの、ブエノスアイレスから乗っていた夫婦げんかなおじさんだった。それでも文句1つ言わず、こんな夜中なのにがんばってくれた。この人もいろいろと問題を起こしてくれたが、最後の最後で協力してくれた。ちょっとビールを飲み過ぎた赤ら顔で(きっと飲んでいたら呼び出されたのだろう)、目をこすりながらぺったんぺったんとスタンプしてくれた彼の姿を、忘れることはできないだろう。

 すでに2:00をまわっていた。ようやくスタンプを押し終えた彼は手を振って下船した。いよいよ出港、パイロットボートのスタンバイに少し時間がかかったが、3:00前に出港することが出来た。もうすぐ日が昇る時間だ。ベットに横たわってぐっすりと眠りたかったが、とても緊張で眠れそうになかった。私達はこれからどうすればいいのだろう?どこでチリの出入国を行えばよいのか。シッピングエージェントさえ決まっていない状態なので、相談のしようにない。たくさんの不安要素が解決されぬまま、私達はブエノスアイレスを後にした。

モドル

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